はじまりの広場

復興の動きをゆっくりと紡ぐ
 東日本大震災の津波被災地では、低地に集団移転後の広大な跡地が広がっており、大船渡市の綾里地区では、震災から8年以上が経った現在も畑などが混在した荒れ地となっていた。
 この計画は、大船渡市による震災復興事業の一環として、低地の一部を、この地域のまちづくりのためのコミュニティ広場として整備し活用することを目指している。芽生え始めている地域のあたらしい暮らし方への関心や、在来植生の回復と人々の関わりなどの動きを合成するようにして広場を計画し、今後もこうした「復興の動き」を地域全体でゆっくりと紡いでいくための「はじまりの広場」をつくった。

 自然と地域の人の営みの中にある技術を使って、生態系がもっている動的な秩序に、人の営みが参加することはできないだろうか。このプロジェクトにある固有であたりまえの技術を拾い集めて広場をつくろうと考えた。
 まちづくりや植生活用を地域全体でゆっくりと紡いでいく。様々な活動をうけとめてカスタムされる東屋・パーゴラ、震災の記憶を継承しながら多目的に使われる水場など、最小限の広場整備と仕掛けによって、この地域固有の時間と空間の動的な秩序を生みたいと考えた。

地面の断面設計
 この広場がきっかけとなり、植生活用が周辺低地にゆっくりと広がっていくように、在来植生が定着し周辺へ広がるために適した舗装・植栽・境界のありかたを探った。自然の力をうまく活用し、活用することで広場環境が良好に保たれるよう、維持管理の負荷を低減することを目指した。植生の専門家と地域住民と共に地域植生のフィールドワークを行い、植生に学び地域の生態系に参加する試みを、デモンストレーション草原による実験を通して、雑草の繁茂や鳥獣の食害をも取り込みながら植栽計画をした。
 広場の周囲にフェンスを設置することをやめることで、隣地と共に活用されることと、広場の植栽が繁茂し広がっていくことを促す計画とした。広場が育つことが、被災低地全体の管理と、周辺のまちづくりに波及していくことを目指している。

 様々な研究者・都市計画家らによって先行して実施された綾里地域の調査研究と作成された復興マスタープランを引き継ぎ、地域住民で組織された「まちづくりワークショップ」と共に、フィールドワーク・住民参加のワークショップを継続的に実施し広場のデザインを決めていった。
 具体的な設計にあたって、活動とデザインの検討からまちづくりを考える「まちづくり部会」と、植栽とその管理方法からまち全体の緑のあり方・維持管理を考える「緑の研究会」という地域住民によるワークショップを設置し、生まれてくる様々な活動をうけとめるように、広場とまちの将来像を具体的に想定しながら設計を行った。

 水場は、みんなで使える大きなキッチンのようなデザインとした。住民参加の施工ワークショップによって、貝殻などと共に、被災低地に残っていたガレキの一部を仕上げに用いることで、震災前にそこにあった綾里の人々の暮らしの記憶と、津波の記録を継承する「依り代」となっている。

さまざまな活動をうけとめるパーゴラ
 地域住民による定期的な朝市・広場の清掃や管理と共に行うBBQ・伝統芸能の稽古の休憩場所などが想定された。様々な活動に合わせて拡張できるように、パーゴラ状の鉄骨の構造体を最大限広げることとした。テントを張ったり、ベンチや机を作り付けてカスタムできるよう、柱は単管と同じ径(φ50程度)の鉄骨無材とし、梁や桁にも、単管・ロープ・市販のシート・不定形な垂木などを取り付けられる仕掛けを採用している。梁や桁の端部は、単管パイプを継いで延長できるようにU型金物用の穴あけを施し、ロープで部材を結びつけたり単管パイプを直に差し込めるようにΦ52の穴あけを施した。持ち出し長さや穴あけに変化をつけていることで「拡張性」と「自由度」を増す工夫をした。

綾里らしい屋根の東屋
 広場に隣接する高台には、昭和の三陸津波の際に高台移転した復興地が広がっていて、東北地方の宮大工や舟大工の流れを汲む「気仙大工」による建物と、その後の時代に増改築や建て替えが行われた建物が交じった街並が形成されている。
 広場の東屋は、この地域らしい気仙大工の建物の「入母屋」の屋根を模した形とした。その一方で、抽象化と軽量化し、その後の時代の建物によく見られる鋼板の一文字葺き仕上げを採用することで、広場から高台を見上げた時に見える街並の一部となるように意図している。妻部分を開口とすることで強い海風の風圧を受け流す構造とし、東屋で休む人たちに三角窓から見える高台の街並と山並みの風景を提供する。
 残念ながら最終的には、さまざまな事情により、パーゴラと東屋は実現することができなかった。ワークショップで考案したこれらのアイデアは、運営の中で設られるものや使い方に、別のかたちで反映されている。

生きられた村に接続する
 人口減少が進む漁村である綾里地域において、地域住民がもつ力と地域の文化や空間がもつ力をゆっくりと受けとめ、人々の暮らしを豊かにしていけるように、広場の設えを計画するよう心がけた。工事が終わってからも、地域住民による施工や植樹とベンチの設置など、広場は使いながらつくり続けられている。

・・・綾里は山がちな地形で、港湾、綾里湾、越喜来湾に面しており、地理的にはひとまとまりとは言い難い。この条件下で、綾里という地域社会はどのように、まとまりを維持して来たのだろうか。東日本大震災後に盛んに「コミュニティの団結」が語られたが、それは綾里についてもいえるだろうか。
・・・人々の暮らしの中でとらえた場合、信仰に伴う様々な行事では、そこに属する人々が定期的に集い、ともに飲食し、語らう姿がみられる。そうした「ハナシカタリ」の中で、過去の災害に関する記憶や伝承が受け継がれてきたということは、充分にありうることである。
-饗庭伸、青井哲人、池田敬浩 他(2019).津波のあいだ、生きられた村 鹿島出版会 pp.58、61

 綾里は、明治三陸津波(1896)、昭和三陸津波(1933)の経験を継承し、まとまり・ハナシカタリ・復興地・無意識の高台移転・気仙大工・祭りというような、空間と地域社会の仕組みによって、東日本大震災(2011)の津波による被害をはっきりと逓減させることになった。震災後、その仕組みを暮らしや生業のなかから立て直す試みとして、前掲の著者たちによって教訓集「小石浜の教え」がつくられ、2015年と2016年の2度にわたって、歴史と津波の博物館展が行われている。広場計画も、この仕組みに接続するよう、地域の住民と文化や空間がもつ力をゆっくりと受けとめ、人々の暮らしを豊かにしていくことを目指した。一連の取り組みによって見えてきた地域の資源を広く周知し、次なる動きにつなげるものとして、まちの資源マップを作成した。

Credit

所在地:岩手県大船渡市綾里
主要用途:公園
敷地面積:約2400㎡
まちづくりワークショップ:2018年3月〜2018年8月
広場計画ワークショップ:2018年12月〜2020年3月
設計期間:2018年10月〜2019年7月
施工期間:2019年8月〜2020年3月

まちづくり部会:住民メンバー12名
饗庭伸・学生/首都大学東京
市川竜吾/首都大学東京
みどりの研究会:住民メンバー10名
池田浩敬・学生/常葉大学
浅見佳世・学生/常葉大学
デザイン提案:ワークショップ/綾里地区復興委員会
デザイン監修:市川竜吾/建築築事務所
PM:三好健太郎/パシフィックコンサルタンツ
設計監理:上栗優子/大船渡市災害復興局
土木設計:佐藤章博/菊池技研コンサルタント
写真・図版:市川竜吾

助成等
大船渡市綾里地区復興コミュニティ広場事業(2018年)
岩手県まちづくり専門家派遣事業(2018年)
積水化学自然に学ぶものづくり研究助成(2019年)