綾里

津波・生業・風景
 リアス式海岸特有の、複雑に入り組んだ海岸線に面した大船渡市は、吉浜湾、起喜来湾(おきらいわん)、綾里湾、大船渡湾の4つの大きな湾からなる。綾里湾と大船渡湾に挟まれた小さな2つの湾が港湾(みなとわん)と合足湾(あったりわん)で、綾里の中心地は港湾に面してある。綾里は、1956年までは綾里村として独立した行政単位であったが、周辺地域との合併を経て、三陸村、三陸町となり、現在は大船渡市の一部となっている。綾里は、3つの湾に面した11の集落で構成され、現在は沖釣りや定置網、鮑やウニの漁と共に、ワカメ・ホタテの養殖漁業が地域の漁業経営を豊かにし、生活を安定させている。
 綾里は、明治から平成までに3度の大津波を経験することになった。明治三陸津波(1896)の被災を経て、昭和三陸津波(1933)の後には、港・岩崎、石浜、田浜、白浜の4箇所に約200戸が高台に集団移転し、復興地が造成・建設された。綾里では、こうした明確な防災のための空間的な仕組みのみならず、まとまり・ハナシカタリ・無意識の高台移転・信仰と祭りというような、様々な空間と地域社会の仕組みによって、東日本大震災(2011)の津波による被害をはっきりと逓減させることにもなっているという。
 江戸時代から明治にかけては、林業と製塩業と自給のための農業が主な産業で、貧しい村であった。大工職人として出稼ぎで生計をたてる家も多く、そうした人々は次第に「気仙大工」と呼ばれる高度な技能を持ち、全国にネットワーク化された大工集団を形成していった。綾里を歩くと、あちこちに気仙大工の意匠がこらされた住宅を見る事ができる。それは、昭和の復興地の建設時に建てられた小ぶりな家と共に、地域内には新しく昭和の後期から平成期に建てられた大きな家もたくさん見られる。これは、漁業の発展によって豊かになった人々が建てたもので、気仙大工と漁業の二つの生業が結びついてつくられた風景でもある。

Credit

対象:岩手県大船渡市綾里
方法:写真
観察:2018年3月〜2018年9月
図版引用:饗庭伸、青井哲人、池田敬浩、石榑督和、岡村健太郎、木村周平、辻本侑生『津波のあいだ、生きられた村』(2019)鹿島出版会
航空写真:大船渡市綾里(2013)「地図・空中写真閲覧サービス」国土交通省 国土地理院website

参考文献
饗庭伸、青井哲人、池田敬浩、石榑督和、岡村健太郎、木村周平、辻本侑生『津波のあいだ、生きられた村』(2019)鹿島出版会
山岸剛『東北建築写真』(2019)LIXIL出版
山憲治『気仙大工―歴史と人物群像(さんりく文庫)』(1978)NSK地方出版社
岡村健太郎『「三陸津波」と集落再編―ポスト近代復興に向けて』(2017)鹿島出版会
黒石いずみ『東北の震災復興と今和次郎』(2015)平凡社