風景の手触りから場をつくる

 2019年8月末の2週間程、中国の山あいの村で、フィールドワークとまちづくりに関する提案を行った。浙江省安吉県報福鎮にある深渓村と石嶺村は、竹の一大産地の中にあり、山谷には渓谷を挟んで竹林の風景が広がっている。村の産業は、竹生産とその工芸品生産と農業などから、民宿やホテルによる宿泊旅行業へ移行しており、そして現在はさらに上海など大都市からの集客を見込んだリゾート地としての、新しい観光産業へと移行していた。鎮の中心部ではリゾートマンション開発も行われているが、山間部にある村では、まだよく探すと辛うじて、文化大革命以前からの集落構造・建物・産業・暮らしのかたちを垣間見ることもできる。
 地域の観光まちづくり計画に対する提案を行うことを主な目的とし、首都大学東京都市政策科学域の学生たちと都市計画家の饗庭伸、都市史家の高道昌志らと共に、上海視覚芸術学院に恊働するプロジェクト。提案作成の準備作業として、3つのワークグループに分かれてフィールドワークを行った。饗庭グループはインタビューなどによる村の暮らしの全ての調査から技術へのアプローチ、高道グループは空間調査からテリトーリオへのアプローチを行い、私のグループはアーバン・フロッタージュを用いて風景の手触りからその再構成へアプローチした。

風景拓写
 アーバン・フロッタージュは、真壁智治によって、都市の記号環境を研究する「遺留品研究所」の活動の延長として1968年頃から展開された。都市空間の表面を構成する、道路、壁、天井などの様々な路上の箇所に紙を押しあて、鉛筆を擦ることによって凹凸を転写する行為で、身体行為を通して都市の表面を感じ取り、その感覚を再び視覚情報へと還元するフィールドワークの手法である。

アーバン・フロッタージュの体験…その場に身体ごと共振する原感覚のようなものが発生してくる。…フロッタージュを繰り返し眺めることは「都市」への旅そのものである。
-真壁智治(1996).アーバン・フロッタージュ 住まいの図書館出版局 pp.7

 この方法を用いて、限られた短い期間の中で風景を身体に通してみることで、わたしたちの興味や愛着の奥に潜んでいる共時的かつ通時的な「価値」を掘り起こしたいと考えた。現地に行ってみると、おおよそアーバン・フロッタージュの許容値を超える乱雑な風景の表面が広がっていた。大きな石がゴロゴロとして、土ぼこりと様々な材料が混在した、凸凹として湿潤な表面を転写しようと試みるにつけて、次第に、紙を折り曲げながらスケッチするかのように、紙と鉛筆を風景の表面に走らせていくこととなった。アーバン・フロッタージュを拡大解釈したこの行為を、私たちは「風景拓写」と中国語訳することにした。
 強い日差しと突然降りだす雨の中でフィールドワークを繰り返すのは、手と体全部を使って考える作業だった。その中で、風景拓写を行うことが関わりしろとなって村の人たちから情報や反応が得られ、私たちが何に注視しているのかを伝達することで、その「価値」を考え共有することもできそうだった。風景拓写によって価値を再発見することで、風景の手触りをつくっている材料と技術の由来と発展過程へとさかのぼっていくことになった。

材料と技術1:竹林と養鶏
 竹林は、渓流沿いの山裾に住居を構えて管理されてきた。林立する竹は、墨書きで所有者や出荷時期を記すことで管理されているが、ときおり出会う竹に書かれた毛筆文字は、山を散策する経験に楽しい質感を与えてくれている。
 住居に近い山裾の竹林では、今もなお赤鶏を中心とする家畜が飼われていた。渓谷沿いには、長い時間をかけて水流の侵食と人の営みの合成よって、階段状に平地と擁壁が繰り返す段丘が形成されてきている。崖と擁壁に挟まれたせまい平地は、その両側を住居や石積みとその隙間を柵で塞ぐだけで、家畜のための平場を簡単に囲いとることができる。竹林の下草と残飯などを餌にして養鶏を営むことができ、鶏糞もまた竹の養分となる循環が生まれている。
 竹は対価として「お金」を得るため市場経済へと流通させる原料・製品としてだけではなく、住居まわりの柵や壁の設え・燃料・食習慣など暮らしの全てに深く関係している。かつては、ここで人の営みを含む竹林の生態系としての地形・風土・事物・生物・エネルギーの循環が、今よりも色濃く、人の生存に必然で必須なものとして機能していたことが想像できる。

材料と技術2:水まわり
 竹林の山は雨水を保持し、浸透した水が渓流となり、山裾の人の営みを支えてきた。渓谷沿いには、川の流へとつながる無数の小さな水の流れが、滝や小川と水盤や岩清水となって現れている。そうした水の流れに寄り添うように住居は配置され、集落は構えられてきたようだ。
 昔ながらの水利用は、上流から飲用・炊事・魚の生簀・洗濯・水浴というように、水瓶やマスを設えて分流させながら、巧みに順に使い分けられている。可視化された水が巡り「回って」いることをよくイメージし、その循環に人の営み合流させる態度だと言える。また、水を使う場の「周り」には、水流を制御する石積みや、暮らしの道具としての竹製品をはじめとして、様々な性質と手つきが定着したものの手触りにあふれている。例えば、岩清水を汲むために置かれた水瓶はよく見るとそれぞれ模様が異なっているが、元来これは持ち主を判別するための工夫が、意匠の違いとなって現れている。
 近年の新しいリゾート開発で水の流れは、観光資源として、ホテルのプールや観賞用の水盤へと形を変えて利用され続けているが、水の順の使い分けや手触りをともなった現れにはよらない、唐突でキッチュな水の利用でもある。現代的で都市的な水まわりが、水が回ることのイメージと、その周りの暮らしの豊かさから、どのように距離をとっていったのかが垣間見えている。

材料と技術3:石の集散離合
 この地域は石の産地としても知られる。長い時間をかけて、庭石や調度品として使用されるための石が大量に持ち出されることで、かつての美しく彫りの深い渓流の風景が失われてしまったそうだ。わたしたちが訪れたのは豪雨の直後だったというのもあるが、確かに渓流の風景は雑然としていて、お世辞にも感慨や趣があるとは言えなかった。
 主にここで産出される石は変成岩に分類される。地下で堆積岩に圧力が加わりできた岩石で、平板状にへき開する性質があり、その様子が渓流の中に洗い出された岩盤に見てとることができた。平面的に四角く割れる石の性質は積み石に適しており、護岸と土どめの擁壁や、山道の階段、建物基礎などに石積みが多用されている。ここで伝統的に多く用いられている大小の積み石とぐり石だけでつくる「空石積み」は、接合にセメントを使う「練石積み」とは違って、容易に解体して別の場所に用いることができる流動性の高い方法だ。一旦使用された石も、氾濫や山崩れやインフラ整備や引越しの際に解体され別の場所で使われたり、裏庭や道脇に保管されて次の出番を待つということが繰り返されてきた。
 一方で、近年では空石積み技術の衰退や手軽に扱えるセメントの登場で、丸い川石を舗装に装飾的に用いたり、練石積みの表面に積み目地とは別の装飾目地をモルタルでつけた、ウィットに富んだ装飾的な外壁もいたるところに見られた。こうした即物的で場当たり的な現代的な手つきも、この地域で人と場を変えつつ、古い方法とも混じり合いながら繰り返されることで「新しい伝統」とでもいうような、石の扱いに地域固有の様式を生み出しているようだった。

材料と技術4:ものたちの転生
 村の暮らしは都市部とは違い、まだ大きな市場経済の物流システムの中におさまりきってはいない。石が集散離合して用いられてきたのと同じように、この地域や住居の周りで、様々なものが集合して空間や道具をかたちづくってはまた分解され、別の用途に用いられたり、保管されては機を待ち新たなかたちを与えられている。
 壁面を構成していたレンガは庭先に保管されて、そのつど舗装や塀に使われている。建築の屋根の小屋組をかたちづくっていた木材は、選別されてまたそこに建つ建築で屋根を構成する。屋根瓦は、レンガと組み合わせて塀や水場になっている。そういった具合は自然素材だけでなく、ポリバケツ・段ボール・工具のような工業製品も、この地域や住居の周りに流入したものたちは、押し並べてみな同じ手つきで様々なかたちへと「転生」されているのだった。
 時と場合によって様々なものへと転生した姿と転生の技術をひもとくと、伝統的な空間や道具を、現代の材料に置き換える、または置き換えざるを得ない際の、固有の合理性が見えてくる。例えば、柄の無い中華鍋には、プラスドライバーが溶接されて柄となっていた。工業製品であるプラスドライバーの握りは、言うまでもなく、しっかり片手で握るために造形されているので、用途は変わっても機能は活かされているというわけだ。結果として、しっかりと握りやすい柄となっているかどうかは疑わしいが、そこもまた次の転生を想起させているようでもある。あるいは、工事現場の手運び用の物入れは、段ボールの空き箱の縁と角を竹で補強したものがよく用いられていた。元々は、すべて竹で編まれた四角い竹籠の伝統的な製品が使われていたようだ。手間と熟練を要する竹編み部分を、段ボールの空き箱に置き換えることで、必要十分な強度で、不要になったら廃棄しやすい物入れを、容易に手に入れることに成功している。
 そこにある技術の発展は、野放しにしていればすぐに市場原理に飲み込まれ、すっかりわたしたちが見慣れた材料と技術へと置きかわってしまうだろう。しかし、途中の現れを確かに捉えれば、新たな地形・風土・事物・生物・エネルギーの循環の手だてとして、有効なものにできるのではないだろうか。

仮説
 わたしたちは、元々そこにあった材料と技術の循環がほとんど見えなくなった世界に生きている。ものすごい経済的成長の後にやってきた、市場経済というもうひとつの循環の世界だ。規格化と工業製品化されて清潔でツルツルとした風景のこの世界では、もう一度、ザラザラした風景の手触りから場をつくりなおしてみることで、そこにあった豊かな材料と技術の循環を、市場経済というもうひとつの循環に、接木するように合成することができるのではないだろうか。そこにある技術から、新しい伝統を紡ぎ出すことができるのではないだろうか。

Credit

対象地:中国浙江省安吉県報福鎮(深渓村・石嶺村)
主催:報福鎮政府
主な目的:観光まちづくり計画に対する提案
計画期間:2019年4月〜2019年8月
実施期間:2019年8月21日〜2019年8月30日
考察期間:2019年12月、2020年8月、2021年1月

全体監修:上海視覚芸術学院
コディネーター:金静/首都大学東京 博士後期課程
モデレーター:饗庭伸/首都大学東京教授(都市計画)
チューター:市川竜吾/首都大学東京特任助教(建築設計)
高道昌志/首都大学東京助教(都市史)
実施学生:立木咲希・安武覚・山口尭起・末澤瑠里子/首都大学東京 博士前期課程1年
岡村芙美香・小島みのり・蒋叢・田中翔太/首都大学東京 博士前期課程2年
内藤啓太/法政大学 博士後期課程(参加時:同済大学留学中)
写真:市川竜吾
映像:岡村芙美香・蒋叢

参考文献
真壁智治『アーバン・フロッタージュ』(1996)住まいの図書館出版局
松岡剛、中谷礼仁、石川初、他『路上観察をめぐる表現史』(2013)フィルムアート社
真田純子『図解 誰にでもできる石積み入門』(2018)農山漁村文化協会
スザンヌ・ルーカス『竹の文化誌―花と木の図書館』(2021)原書房